宮内一郎です。かずおと読みます。

本ブログの著者として自己紹介をさせて頂きます。
「江戸っ子だってねー、寿司くいねー」
「そーよ、江戸っ子でー」
「神田の生まれだってねー、寿司くいねー」
広沢虎造、金毘羅代参の一節ですが、かくいう私も、江戸っ子で、神田生まれです。

【経歴】
昭和7年10月29日 当時の住所、東京市日本橋区室町生まれ(*1)
昭和13年        常磐幼稚園入園
昭和14年        常磐小学校入学
昭和19年        学童疎開で、埼玉県比企郡大岡村へ
昭和20年        常盤小学校卒業
同年       都立三鷹化学工業学校入学(*2)
昭和22年     都立京橋化学工業学校に校名変更
昭和23年     都立京橋化学高等学校に校名変更
昭和26年3月     同校卒業
同年        早稲田大学第二理工学部建築学部入学
同年  4月      中央化成工業株式会社入社
昭和27年4月     早稲田は中途退学
同         中央化成は退社
同         築地市場仲買、泉政に入店、修行
昭和27年8月   築地市場仲買、丸宮に入店、現在に至る
昭和62年      近海物業会総代就任
平成元年         東京魚市場卸売協同組合の理事に就任
平成3年           東京魚市場卸売協同組合常務理事(*3)
平成19年10月 月刊東卸で「魚の話をしましょう」を連載開始(連載中)
平成21年   「お魚マイスター」の資格取得
平成28年11月 本ブログ開始

(*1)神田区、駿河台の産院と、謄本に記されています。
(*2)学校の場所は、現在の銀座中学、築地市場の傍です。
(*3)広報文化委員会担当として平成17年まで在任しました。

 

【魚食普及への思い】
常務理事平成17年まで14年間、広報文化一筋に努めました。
魚食普及」を念頭に置き、組合員には勿論、対外的にも一生懸命努めてきました。14年間私には、短く、楽しかった時間でした、
ある時、店におさかなセンター資料館の阿部宗明先生が見えて、「今美味しい魚はなんですか?」と聞かれたので、「仙崎の鯵です」と答えたことを覚えています。
河岸曳け、鯵10匹ばかりを先生のお届けしました。帰りに、届いたばかりという「赤むつ」3尾いただきました。1尾400グラムありました。
先生は無言のうちに、「うまい魚を売りなさい」と言っているようでした。
先生との交流が始まって、私の「魚の勉強」が始まったと言っても過言ではありません。
平成17年11月、口内炎の治療が誤診で、舌癌と告知されました。人間弱いもので、告知されただけで、胃潰瘍を患いました。
後日、検査入院で、舌癌がレベル2.5、右リンパ節にも癌が転移しているのがわかりましたので、翌年1月の組合理事選には辞退して常務理事を辞職しました。
平成18年2月9日、聖路加病院で手術しました。手術する前日まで現役で働いていたのですが、手術を境に、店は甥の大瀧晴彦に全てを任せました。
舌の半分を切除し、移植したものの咀嚼、嚥下がままならず、肝心の音声が朗々とせずでは、人との会話も億劫になりがちになり、談笑からも離れて行きます。それでも、退院後、出社時間は遅くなりましたが、毎日、店には出ています。アキナイですからね。

魚食普及に関しては、入院中も、ずーっと考えていました。
当時の広報文化課の栗原さんに相談して、寄稿の形で「魚の話をしましょう」を、組合の月刊誌『月刊・東卸』に、載せることになりました。
病後で、たまに書けばと、臨んだ仕事でしたが、毎月(毎年の新年号を除く)休みなく2016年まで続けています。この平成28年10月29日に、84になりました。以前の事は忘れがちですが、魚食普及への意欲は、人に負けません。このサイトを通して、魚の話、魚河岸の歴史、築地市場の話など、綴ってまいりたいと考えております。