天ぷら

今日の魚の話は天ぷらです。

吃驚しないでください。(※① 読めますか?答えは最後に・・・)天ぷらの主役はメヒカリなんです。標準和名は青目狗母魚(あおめえそ)です。メヒカリの話だけでは、1頁埋まりませんので、てんぷらの話を一齣(※②)

エッヘン!

衣をつけて揚げる天ぷらが登場するのは江戸時代の中期で、魚にうどん粉をまぶして、牛蒡や蓮根に水で溶いたうどん粉を塗って揚げていました。屋台で天ぷらが売られだし、寿司とともに外食の盛んな江戸の食文化の花形へとなってゆくのです。

抑々(※③)、天ぷらとは!?

天ぷらの名の由来は、はっきりしたことは分からず、有力なのは外来語説です。室町時代末期、南蛮船の渡来で、外国文化の輸入から、ポルトガル語で調理の意の「テンペロ」とか、スペイン語で寺を表す「テンプロ」とも。当時上方では、天ぷらといえば魚の擂り身を揚げたもの、現在の薩摩揚げのことをいいました。

天ぷらが江戸で広まった理由の一つに、種にする新鮮で安価な魚介類に事欠かかなかったことが挙げられます。ここでやっと魚がでてきました。

マッテマシタ!

でも、当時の江戸前の水揚げされた魚介類にメヒカリの記録はありませんでした。

天ぷらが広まった理由の2つ目は、菜種油やゴマ油が増産されて安く手に入るようになったことです。

さて、安さと新鮮さが売りの「江戸前天ぷら」は、精進揚げと区別して、東京湾で獲れる魚介類の天ぷらのことを指しました。鯛や鱸などの海産物は上流階級の食卓に、屋台の天ぷら屋では、小柱・烏賊・芝海老・車海老・穴子・蛸・鱚・雌鯒・鯊・銀宝・・・たやすく入手できる魚ばかり。うどん粉を水で溶いただけの衣を付けてカリッと揚げる。食べやすいように串に刺して、値段は大体1串四文(約100円)。四文屋さんという名前のお店がいらっしゃいますが、安さを売りにした命名かもしれません。

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