泥鰌

夏に食べたい魚といえば、土用丑の日の鰻・京都の夏の風物詩から今や日本の夏の味となった鱧・江戸前寿司の定番の穴子。細くて短い、泥鰌も夏に食べたい魚の一つですね。

今月は、どじょうの話で温まってください。

ど じょうは室町時代以降の料理書には盛んに出てきます。これは室町時代半ば以降に味噌汁という料理法が生まれ、それでどじょうを料理すると美味しくなることを発見したからです。つまり、味噌汁が庶民化する過程で、どじょうは一般にたべられるようになったわけです。

 当初、どじょうは腹わたも取らずに丸ごと食べました。食べ方は、丸のまま味噌汁に入れた「どじょう汁」や、丸ごと醤油で煮た「丸煮」など。江戸時代初期の料理書『料理物語』にも「鰌汁」として、味噌を濃くして出汁を加えてよく煮る、と紹介されています。どじょうは栄養価の高い割には値段が安いことから、江戸でも庶民の味として人気が高かったようです。当時のどじょう汁の値段は一杯16文(現在の約400円程)。落語『時蕎麦』の同じ値段。手軽に食べることが出来て、スタミナも付く、そして味もよしとあって、どじょうは江戸庶民にとって身近な川魚料理となっていきます。

「駒形どぜう」を享和元年(1801年)に創業した越後屋助七は、どじょうの4文字ではなく、縁起を担いで奇数文字の「どぜう」としたところ、「駒形どせう」が繁盛店になったことから、他のどじょう屋にも「どぜう」という表記が広まったと言われています。

 どぜうについて作家杉浦日向子さんは『大江戸美味草紙』の中で、『どじゃう』はどじょうが存命中の呼称で「どせう」はどじょうが食い物になった呼称である。それだから田圃には「どぜう」はいないし、はふはふつつく鍋に「どじゃう」はいない。「どじゃう汁」は生きたのをいきなり調理するから、あくまでも「どじゃう」であり、対して「どぜう鍋」は調理された開き身を用いるから、既に「どじゃう」ではなく、食材としての「どぜう」なのであると。

 夏に旬を迎えるどじょうは、日本各地の浅い池や沼、田の小溝、流れのない用水などに生息しています。昭和の初め頃は、年間5000tの漁獲量があったといわれていましたが、戦後1965年頃には農薬散布の影響で400tにまで減少したといわれています。その後は少し回復したものの、生息場所が失われつつあり漁獲量は減少。1970年代から、養殖もされるようになりました。

 どじょうは腸を使って空気呼吸を行うという習性をもっています。そのため数分に1回水面で空気を飲み込み、水底に戻り肛門から出すという動作を繰り返します。水中の酸素欠乏によく耐える魚でもあり、天候の変化を鋭敏に観測して行動するので、英名をweatherfishと呼ばれています。どじょうすくい踊りの「安来節」の掛け声でおしまいです。

アラ・エッササー