魚河岸の歴史

001703165

日本橋魚市場、俗に言う日本橋魚河岸の起源は、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐に従軍した徳川家康が、北条氏滅亡後、廃屋同然だった江戸城に入った時から始まりました。

この時、家康の命により、摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区佃町)の名主だった森孫右衛門以下34名の漁師が江戸に呼び寄せられて、江戸内湾とその流入河川での漁業権と徳川家へ漁獲物を上納する役を与えられるとともに、平川村小田原河岸(後の日本橋本小田原町と瀬戸物町、現在の中央区日本橋室町1丁目から本町1丁目付近)、三越の前あたりから昭和通りを越えて本町1丁目あたりの土地を拝領しました。

日本橋が建設されたのが、慶長8年(1603年)とも慶長17年(1612年)ともいわれています。都市機能の整備が進むにつれて江戸の人口も増加し、水産物の一大消費地になっていきました。

当時の水産物の取引は、各地から集荷した商品を問屋が仲買に預け、仲買が小売商に売った後、その売り上げに応じて卸価格を決めるという方式がとられていました。問屋は幕府の屁護を得て権力を強め、流通ばかりではなく漁業生産の場まで影響力を及ぼす存在になっていきました。

固定ページ: 1 2