節分と魚河岸
毎度!宮内一郎です。
私は俳句を少し嗜んでいます。1月22日(日曜日)の朝テレビで、節分と追儺(ついな)の放送がありました。このテレビをみて、鰯の丸干しの話をと思って、筆をとります。
節分とは、「季節を分ける日」という意味で、立春、立夏、立春、立冬の前日のことを指していて、1年に4回の節分がありました。
追儺は平安時代に中国から伝わったもので、新年を迎えるにあたって悪霊や鬼を払う儀式です。
立春は、旧暦の元日に近いこともあり、追儺の儀式と、節分に行われた「豆打ち」の儀式が融合して、現代に近いスタイルの節分が完成されたようです。
江戸時代になると節分の豆撒きは、年末年始の恒例行事として定着して各家の戸口に、柊の枝に鯛の頭を刺したものを立てて、鬼打ち豆と称して、炒った大豆をまく習慣ができました。
これは隋の時代に我が国に入ってきた風習で、北東の方からやってくる鼻のきく鬼を避けるためのおまじないで、鯛の頭の臭いに音を上げて鬼は退散するという仕掛けです。
この北東の方角を鬼門といいます。また、鯛の頭も信心からの格言はこれが始まりといわれています。
以前は、節分が近くなると、鰯の丸干しの値が上がり、私たち鮮魚を扱っていた近海物の鰯は、売れ口が良くなかった覚えがあります。
近頃はスーパーマーケットなどで、柊の葉と丸干しが、セットで売られているようで、時代の流れを感じる昨今です。
福は~内、鬼は~外!