Category: 月刊 東卸バックナンバー (page 2 of 19)

クロダイ・イシダイ(2016年9月号)

クロダイ・イシダイ

魚の話を書く段になって、秋口に旨い魚は何かないかと、咄嗟に思い付いたのがクロダイでした。それに、イシダイもあったなと。思い返せば、クロダイも、イシダイも書いた覚えがなかったので、早速紙面に載ってもらいます。

そうい言えば、両タイとも俳句歳時記上では夏の季語で、昔から親しまれている魚です。話は序に、秋口という言葉も秋の季語で、丁度今頃、秋のはじめを言います。

クロダイ

タイという名の付く魚は日本の周辺だけでも300種類以上存在すると言われています。しかし、分類上タイ科というグループにまとめられるのは、マダイ属、チダイ属などの仲間に限られます。タイ科の魚は世界に約100種いますが、そのうち日本近海には13種類が生息するに過ぎません。今回誌上に載るクロダイはその内の1種で、本物のタイ科の魚です。

体形はマダイに似た、いわゆるタイ型で、体色は銀灰色。クロダイの名はそこから付けられました。幼魚期には銀黒色の明瞭な横縞が6~7本ありますが、成長とともに薄くなっていきます。

クロダイは性転換する魚で、幼魚期から体調20cmの若魚期(4年魚)にかけて雌雄同体として過ごすという特徴があります。5年以降になると、多くは雌に性分化します。

分布は、琉球列島を除いた北海道以南、朝鮮半島南部や台湾、中国北中部沿岸域に限られます。

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ドジョウ②(2016年8月号)

泥鰌

夏に食べたい魚といえば、土用丑の日の鰻・京都の夏の風物詩から今や日本の夏の味となった鱧・江戸前寿司の定番の穴子。細くて短い、泥鰌も夏に食べたい魚の一つですね。

今月は、どじょうの話で温まってください。

ど じょうは室町時代以降の料理書には盛んに出てきます。これは室町時代半ば以降に味噌汁という料理法が生まれ、それでどじょうを料理すると美味しくなることを発見したからです。つまり、味噌汁が庶民化する過程で、どじょうは一般にたべられるようになったわけです。

 当初、どじょうは腹わたも取らずに丸ごと食べました。食べ方は、丸のまま味噌汁に入れた「どじょう汁」や、丸ごと醤油で煮た「丸煮」など。江戸時代初期の料理書『料理物語』にも「鰌汁」として、味噌を濃くして出汁を加えてよく煮る、と紹介されています。どじょうは栄養価の高い割には値段が安いことから、江戸でも庶民の味として人気が高かったようです。当時のどじょう汁の値段は一杯16文(現在の約400円程)。落語『時蕎麦』の同じ値段。手軽に食べることが出来て、スタミナも付く、そして味もよしとあって、どじょうは江戸庶民にとって身近な川魚料理となっていきます。

「駒形どぜう」を享和元年(1801年)に創業した越後屋助七は、どじょうの4文字ではなく、縁起を担いで奇数文字の「どぜう」としたところ、「駒形どせう」が繁盛店になったことから、他のどじょう屋にも「どぜう」という表記が広まったと言われています。

 どぜうについて作家杉浦日向子さんは『大江戸美味草紙』の中で、『どじゃう』はどじょうが存命中の呼称で「どせう」はどじょうが食い物になった呼称である。それだから田圃には「どぜう」はいないし、はふはふつつく鍋に「どじゃう」はいない。「どじゃう汁」は生きたのをいきなり調理するから、あくまでも「どじゃう」であり、対して「どぜう鍋」は調理された開き身を用いるから、既に「どじゃう」ではなく、食材としての「どぜう」なのであると。

 夏に旬を迎えるどじょうは、日本各地の浅い池や沼、田の小溝、流れのない用水などに生息しています。昭和の初め頃は、年間5000tの漁獲量があったといわれていましたが、戦後1965年頃には農薬散布の影響で400tにまで減少したといわれています。その後は少し回復したものの、生息場所が失われつつあり漁獲量は減少。1970年代から、養殖もされるようになりました。

 どじょうは腸を使って空気呼吸を行うという習性をもっています。そのため数分に1回水面で空気を飲み込み、水底に戻り肛門から出すという動作を繰り返します。水中の酸素欠乏によく耐える魚でもあり、天候の変化を鋭敏に観測して行動するので、英名をweatherfishと呼ばれています。どじょうすくい踊りの「安来節」の掛け声でおしまいです。

アラ・エッササー

メヒカリ(2016年7月号)

天ぷら

今日の魚の話は天ぷらです。

吃驚しないでください。(※① 読めますか?答えは最後に・・・)天ぷらの主役はメヒカリなんです。標準和名は青目狗母魚(あおめえそ)です。メヒカリの話だけでは、1頁埋まりませんので、てんぷらの話を一齣(※②)

エッヘン!

衣をつけて揚げる天ぷらが登場するのは江戸時代の中期で、魚にうどん粉をまぶして、牛蒡や蓮根に水で溶いたうどん粉を塗って揚げていました。屋台で天ぷらが売られだし、寿司とともに外食の盛んな江戸の食文化の花形へとなってゆくのです。

抑々(※③)、天ぷらとは!?

天ぷらの名の由来は、はっきりしたことは分からず、有力なのは外来語説です。室町時代末期、南蛮船の渡来で、外国文化の輸入から、ポルトガル語で調理の意の「テンペロ」とか、スペイン語で寺を表す「テンプロ」とも。当時上方では、天ぷらといえば魚の擂り身を揚げたもの、現在の薩摩揚げのことをいいました。

天ぷらが江戸で広まった理由の一つに、種にする新鮮で安価な魚介類に事欠かかなかったことが挙げられます。ここでやっと魚がでてきました。

マッテマシタ!

でも、当時の江戸前の水揚げされた魚介類にメヒカリの記録はありませんでした。

天ぷらが広まった理由の2つ目は、菜種油やゴマ油が増産されて安く手に入るようになったことです。

さて、安さと新鮮さが売りの「江戸前天ぷら」は、精進揚げと区別して、東京湾で獲れる魚介類の天ぷらのことを指しました。鯛や鱸などの海産物は上流階級の食卓に、屋台の天ぷら屋では、小柱・烏賊・芝海老・車海老・穴子・蛸・鱚・雌鯒・鯊・銀宝・・・たやすく入手できる魚ばかり。うどん粉を水で溶いただけの衣を付けてカリッと揚げる。食べやすいように串に刺して、値段は大体1串四文(約100円)。四文屋さんという名前のお店がいらっしゃいますが、安さを売りにした命名かもしれません。

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アオリイカ(2016年6月号)

煽烏賊

今月は煽烏賊(あおりいか)の話です。夏が旬のこのイカは、イカの中で一番おいしいと評価の高いイカです。

話に入る前に、イカの全体的な話をしましょう。イカは背骨を持った脊椎動物の魚ではありません。背骨を持たない無脊椎動物で、軟体動物の主流は巻き貝や二枚貝などの貝類です。

コウイカ類の持っている船のような形をした「イカの甲」が貝殻です。ケンサキイカやスルメイカの「骨」と呼ばれる背中にあるプラスチック製のような薄い透明な「軟骨」も貝殻です。イカの貝の遠い親戚なんです。

次にイカの種類ですが、世界の海におよそ450種、日本近海にはそのうち140種くらいが知られています。この内、胴の背中に石灰質でできた舟形の甲(殻)を持つコウイカ目と、胴(外套膜)の背に甲ではなく強靭で薄い透明な軟骨を持つツツイカ目の2つに大きく分けられます。

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ホタテガイ(2016年5月号)

ホタテガイ

漁場などで、一夜にしてホタテガイの大群が姿を消してしまうことがあります。

これはホタテガイの貝柱が他の貝と比較にならないジャンプ力を持っているためです。その理由として、二枚目は普通、貝柱を2つ持つ物が殆どですがホタテガイは中央に大きな貝柱が1つだけあって、このバネの反発力を利用して殻を開けたり、閉めたりする力があることと、貝の耳と呼ばれる部分にある2つの穴からジェット噴流のように噴き出す推進力の強さがあります。

ヒトデ等の天敵が近づくと、パクパクと前へ逃げ、一晩で500mも移動した記録もあると言います。

帆立貝の名は、古くは扇貝という名があったように殻が扇形をし、20本前後の放射状の肋(筋)が扇子の骨のように走っているためで、昔の人はホタテがこの扇を帆のように立て、もう一つの殻を舟に見立て、帆かけ舟の帆のように見えるので帆立貝の名をつけたようです。この貝殻の利用には、小皿として料理を乗せる他にも、殻の膨らみの強い方にも竹を挟んでししゃもじ代わりに使われていたことを憶えています。昔のことと思いますのが、どこで使われていたかは想い出せません。

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