Category: 魚の話をしましょう (page 2 of 4)

アニサキスとは

アニサキスについて

 

毎度!宮内一郎です。

 

最近、アニサキス食中毒ってよく聞くけど、これって何ですか。

アニサキスは、クジラやイルカなどの海生哺乳類の体内で成虫になる寄生虫です。アニサキス食中毒は、アニサキスの幼虫が寄生した魚介類を生食、あるいは生に近い状態で食べることでおこる食中毒のことで、アニサキス症という激しい腹痛をおこす場合があります。

 アニサキス幼虫は内臓に寄生していますが、一部は内臓から筋肉に移動します。これまで日本ではマサバ、スルメイカ、サンマなど150種以上の魚介類でアニサキスの寄生が確認されています。

 

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たたき

たたき

毎度!宮内一郎です。

 たたきの季節がやってきました。たたきと言えば鯵と鰹ですが、魚種によって調理法が違います。

鯵のたたきはアジを三枚におろして、包丁の刃でたたいた料理です。鰹のたたきは、節取りをしたカツオの表面を焙って厚めに切り薬味をのせて包丁の腹でたたいて味が染み込みやすくする料理です。

鯵などのたたきは、たたきなますというのを略した言葉です。
本来は漁に出た人が釣った魚をその場で調理して食べたなますのことで、魚を三枚におろして包丁の刃で身をこそげ取り、味噌を加えてたたいて食べたものでした。

膾(なます)とは、本来魚等の生肉を細かく切ったものを言った言葉でしたが、現代ではそれを酢に浸した食品を指すようになったようです。このたたきは、アジに限らず、キス、ハゼ、イワシ、トビウオ等釣れた魚全てに通用する料理です。

たたきは、鯵の食べ方としては最もポピュラーで人気がありますが、家庭で作るとなると意外と少ないようです。是非挑戦してみてください。

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浅利

浅利

毎度!宮内一郎です。

昔の話です。山の仲間五六人と酒の席で、福井出身の友人が話の中で、カイホウジリという言葉がでました。

「解放尻? 」   

何のことかすぐには答えが出ず、しばらく話をしていて、カイホジリ・・・貝穿り・・・潮干狩の事と分って一人で吹き出してしまいました。土地の言葉か、ものは言いようで分かりづらくなるものです。毎年この時期になると思い出し笑いをしています

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初鰹 その弐

初鰹   その弐

毎度!宮内一郎です。

 

目には青葉    山ほととぎす    初鰹            素堂

 

江戸が人口百万という当時世界最大の都市になると、はなやかな元禄文化が開花します。初物に寄せる江戸市民の関心は絶大なものでした。鎌倉から運ばれる初鰹はその最たるもので、現在では考えられない高値が付きました。

文化9年(1812年)に日本橋魚河岸に入荷したカツオ17本のうち、6本が将軍家へ、3本が八百善へ、残り8本を魚屋が買いました。魚屋のが買った1本を中村歌右衛門が買った値段が3両という記録があります。

この日は、旧暦の325日、今年でいうと421日なので、この日にあわせてブログを書きたいと思います。

 

俎板に    小判一枚    初鰹            其角   

 

その後  女房を    質に入れても    初鰹)と川柳に詠まれる程の人気で、消費が美徳とされていました。

天明年間(1781~89)は特に白熱し、なんと一尾三両(現在の価格で約13万円)になったという記録もあります。

生けたごに    小判を入れる    珍しさ       

*たごとは鰹などを入れて運ぶ桶

 

盤台に    後光のような    初鰹

 

初鰹    嬶箪笥の    錠を開け

 

 値切ったら    ぶちのめしそう    初鰹

   

井戸端で    見せびらかして    刺身をし

 

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初鰹 その壱

初鰹 その壱

毎度!宮内一郎です。

カツオ漁は、ほぼ半年間という長丁場にわたるため、その旬を決めるのは難しいのです・・・・・。

太平洋を広く回遊しているカツオですが、最初に2月頃九州南部に現れるのは1.5~2㎏の子カツオで、尾部が太く徳利の形を思わせるところから 「とっくりかつお」と言われます。

その後3月中旬頃、和歌山県沖に現われるのも、まだ脂ののらないとっくりかつおです。

さらに鎌倉沖に現われる頃になるとカタクチイワシを食べて育った3 ~4㎏の大きさに成長します。徳川時代の江戸で初鰹として人気を集め、考えも及ばない高値を呼んだのがこの鰹です。

江戸では、鎌倉から伊豆にかけての海で獲れたカツオを、その日のうちに売りさばきました。サバと同様に、カツオもいたみの早い魚です。冷蔵技術もなく保冷方法も水を替えるくらいしか、知らない当時にあっては、ただ早く届けることが最善の方法だったのです。

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