シラウオとシロウオ
澄むと濁るは大違い、禿に毛はなし、刷毛に毛はあり。濁点の有る無しで、意味の違った言葉になります。

シラウオとシロウオは一字違いの魚ですが、名前と同様に、紛らわしい共通点が多く、体長が数cmであること、生きているときの体は透明ですが、死ぬと白くなり、産卵の後は死んでしまうアユと同じ年魚でもあります。さらにシラウオをシロウオ、シロウオをシラウオと逆に呼ぶ地方もあったり、カタクチイワシの子や、ノレソレ(マアナゴの幼魚、レプトケパレス)をシラスと呼んだりすれば、ちょっと見では判断がつきかねます。魚の見分け方を、さらには雌雄の判別法などを書こうと思い、この魚の旬でもある春の魚、シラウオとシロウオを取り上げました。
シラウオは漢字で白魚と響きます。地方名は前述の通り、シロウオとかイサザなど、体が透明で死後に白くなるので、この名が付けられたのでしょう。よく見るとシロウオに比べて頭はとがっていて、背鰭と尾鰭の間に、脂鰭があって、サケの仲間であることがわかります。分類上ではキュウリウオ目シラウオ科シラウオ属です。春告魚のニシンが運んでくるのは北海道の春ですが、シラウオも江戸に春を告げていました。「月も朧に白魚の 篝も霞む春の空 冷えて風もほろ酔いに 心持よく うかうかと浮かれ鳥の只一羽 塒へ帰る川端で 棹の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両」―歌舞伎「三人吉三巴白浪」に出てくる、お嬢吉三の台詞です。ぼんやり霞んだ肌寒い春の月夜で、大川端(隅田川)の川面を照らすシラウオ漁の篝火は、まさに江戸の春には欠かせない風物詩だったようです。江戸前のシラウオは昭和30年代に絶滅しましたが、現在、青森県の小川原湖と十三湖、茨城県の霞ケ浦、島根県の宍道湖、北海道の網走湖、秋田県の八郎潟が主な産地です。大川端の白魚は徳川家康の好物であったため、その献上箱を運ぶ時は、大名行列を横切ることさえ許されていたとか。白魚の頭をよく見ると、葵の紋に似た突起があり、それでますます大事にされたという話も伝えられています。
一方、シロウオは漢字で素魚と書き、「ハゼ」の仲間で、分類上はスズキ目ハゼ科です。全長10cm位までのシラウオより少し小型の6cm位の魚で、体は細長く、円筒形で頭は丸いのが特徴です。シロウオと呼ばれていますが、淡い飴色をしている、築地市場で「イサザ」と呼ばれている、ビニールの袋に入って売られている、あれがシロウオです。シロウオ漁は、春に産卵のために遡る群を下流で待ち受けて四手綱や簗などで漁獲します。九州・福岡市の室見川のシロウオ漁は特に有名で、江戸時代の藩主黒田侯が好きだったことから「殿様魚」といわれていたようです。シロウオを網ですくい、酢醤油や鶉の黄身を入れた二杯酢につけ、踊りまわるシロウオを手早く食べる「踊り食い」が珍しい食べ方のようです。また、シロウオを吸い物の椀だねにすると、産地の地名「筑紫」(つくし)の字に体が曲がるといわれていて、雄はつの字に、雌は卵で腹が大きいためにくとしの字に曲がるといわれています。
曙やしら魚白きこと一寸 芭蕉
ふるゐよせて白魚崩れんばかりなり 漱石