魚の語源~にしん編~

魚の語源を知りたくて筆をとりました。事の起こりは「虎魚」でしたが、あまりにも「旬」が違うので(市場の?常識では、関東では夏、関西では冬が旬と言われている)、同じように語源を知りたくなる魚を探すことになり、今回のお題「鰊」となったわけです。

以前に流行った地下鉄の漫才ではありませんが、考えてしまうと寝ていられなくて沢山の書物を読み漁りました。先人達の研究者熱心さが読み取れ、自分の知識の薄さと、勉強不足を嘆いている今日この頃です。

最近になって学者先生によって命名された魚名を除いて、古くから食べられていた魚には、「とする説がある」とか「であろう」とか今一つはっきりしたものがつかめず、その語意について決定的な解明をするには至難のわざといえます。

「親釈 魚名考」によるとニシンの語源については、大言海(国語の辞書)に「ニシン」とは「二身」の意。身を二つに割ることの意。土人(その土地に生まれ、代々住んでいる人)にとりては魚にあらず飯なり、故に魚非ずという国字「鯡」を作る。「カド」(後に説明)の内臓を除き二つに割きて乾したるものを「ニシン」と呼ぶ。腹部の方は肥料となし、背肉の方を「ミガキ」と称して食用とす。多くは貧人の食となる。「鰊」の字は「東海の魚」の合字なるべし…とニシンの語源について説明してあります。「蝦夷拾遺集」には「卵がおおく、妊娠魚の意になり」とか、「松前方言考」には「恩恵を受けること両親に等しきため、二身という」等の説があるが、確説はない。別に「鮮魚を『カド』といい、乾魚を『ニシン』という」との説もあるが、それとは正反対の名で呼ぶ所もあります。

昭和以前は、産地近くを除いて乾物だけが八百屋か乾物屋の隅に、枯枝でも束ねたように放っていましたから、まさしく「鯡」は「魚に非ざる魚」でした。「本朝食鑑」には「カドは賎民と猫の食なり」とあります。

そういえば、昔、父の友人(勿論、仲買の旦那)が小僧時代、みせの賄で「干の数の子」と「塩鮭」を買いに行かされた事が1番嫌なことだったと言っていたのを思い出しました。

地方名の「カド」は、明治時代でも、関東や関西地方でさえ、サンマ、サッパ、その他の大衆魚を「カツ、カド」と呼ぶところは少なかったのです。「カド、カツ」とは「糧、糅、食料や飯の足しにするもの」の意で、ニシンの卵の乾物(カヅノコ)の呼名は「カツの子」が語源です。

さんさ時雨の歌詞にも

「酒の肴に数の子よかろ、親は鰊(ニ親魚)で子はあまた」と唄われ、両親の健在の家では正月とお盆には必ず鰊と数の子を食べて一族の繁栄を祈る風習がありました。

大言海によると、「数の子」は室町時代にはコズコズと呼んでいたけれど語呂が「不来不来」と同音で縁起が悪いので「来来」と呼ぶようになったということです。そして数の子という名前は江戸時代になってからの呼名です。

 

《参考文献》

『新釈 魚名考』 栄川省造 著

『おもしろいサカナの雑学辞典』 篠崎晃雄