鱸の巻

 

日本に鈴木という姓は大変多く、三本の指に入る位でしょう。魚の分類上でもスズキ目というグループは一番多く、中でもスズキは魚の代表ともいえる魚です。

スズキで思い出したので先に書いてしまいます。もう50年も前になりますが、私が河岸に入りたての頃、日本橋の魚屋さんへ掛取り(勘定取り)に行った時の話です。店に並んだ魚に名前が付いています。鱸に“鈴木”と、鯖には魚偏にサバとカタカナで。学校出たての私には、何ともえらい社会へ入ったものと思えたのが此の頃でした。

さて、本題の鱸です。

鱸は神代の昔から食べられ、尾翼鱸の名前で古事記にも出ていますし、「万葉集」には「あらたへの藤江の浦に鱸釣る白水郎(漁師)とか見らむ旅ゆく吾を」という柿本人麻呂の歌があります。時代は下って鱸の履歴書には「平清盛」や「徳川将軍家」の食膳にも登場します。

別名シーバスとも呼ばれるこのスズキの体型は細長く、体色は銀灰色で全長1mを超える大型の肉食魚です。関東では25cm位の1歳魚をセイゴ、30~40cmの2~3歳魚をフッコ、60cm以上の成魚をスズキと呼んで、鰤・鯔と並ぶ出世魚です。スズキは日本各地の沿岸・朝鮮半島南部に広く分布している魚ですので、地方名も多く、山陰ではアンサン、浜名湖ではマタカ、北陸では大きなものを入道と呼んでいます。その他、産卵後の脂肪も落ち、やせて旨味の落ちた魚には「丸太ん棒」とか「枯れススキ」といった不名誉な名前も付けられます。

土用の鱸は絵に描いて嘗めても薬といわれるほど味がのって、滋養にも富み、この頃がスズキの旬で、夏の歳時記にも「洗鱸」と名をとめていて、単に「鱸」は秋の季語と区別されています。この他スズキの郷土料理で忘れてはならないのが松江の奉書焼きです。水に濡らした和紙の奉書で包んで焼き上げるそうですが。目と耳で得た知識だけで、口からの味わいを知らない私の不幸を、神よ救いたまえ。この他にも私の経験のないものがあります。それはスズキのエラ洗いとテールウォークです。フッコを釣った経験は、たった一度あるのですが、豪快なエラ洗いは話だけで終りそうです。

スズキの旬は4~8月で特に夏場のスズキは脂がのっています。かつて、江戸っ子は旧暦八月十五日の深川のお祭が終わるとスズキは食べなかったという位、身がやせて、味が落ちた様です。

スズキの仲間にヒラスズキがいます。築地ではノブッコと呼ばれていて入荷は少ない魚ですが、体高がスズキより高いので、見分けやすく、味はスズキより上で、産卵期でも身質はかわらず、スズキの旬の終わる頃に旬を迎えます。

 

追伸:今、オゴノリが大変旨い季節です。白身に限らず、赤身のつまに、艶やかですよ。

【参考資料】

「魚偏に遊ぶ 日本海遊博物誌」