百万という当時世界最大の人口を有した江戸に、元禄文化の花が開いた頃、

日に千両・鼻の上下 臍の下

という古川柳が残されています。鼻の上は目で歌舞伎のこと、鼻の下は口で魚河岸、臍の下は吉原、一日にそれぞれ千両の商いがあったという威勢のいい川柳です。

目には青葉山時鳥初鰹 素堂

その頃、初物に寄せる江戸市民の関心は絶大で、時鳥の鳴き声、あの「天辺かけたか」といわれるこの鳥の声が大空高くなき渡ると、初鰹の初値が高値という所によるもので「ひと口にいえば鰹と時鳥、いづれはつね(初音・初値)は高くきいたり」とも詠まれています。

時鳥と初鰹とは初夏・五月の風物詩で二幅対になって同じ季節の流行にもなって使われ、いづれも夏の季語になっています。

さて川柳のはなしですが、季節の食べ物には栄養もあり、初物を食べれば寿命も延びるという云い伝えと、江戸っ子の見栄が、初鰹礼賛に拍車をかけ、現在では考えられない程の高値がつけられました。魚に関する江戸川柳では、カツオが圧倒的多数で、タイ・フグ・貝(蛤・浅利・蜆等)が続きます。カツオ以外の川柳は別の機会(季節)に書かせていただき、今回はカツオのみといたします。

初松魚飛ぶや 江戸橋日本橋

筋隈の魚ア つがもねえ値段

(筋隈はかつおのこと、つがもねえはべらぼうな)

生けたごへ小判を いれる珍しさ

(生けたごは魚を生きたまま運ぶおけのこと)

文化九年(一八一二)頃の一両は今日の三万円に当たるかもしれません。17匹の魚を運ぶのに8人の漕ぎ手の押送船を用いたとすれば人件費だけでも相当な金額になります。

今日と違って冷蔵庫のない当時は客に出す予定のあるときは井戸につるして冷やしました。

御馳走に井戸から 鰹釣り上げて

食べ方も今日では大根おろし、生姜、ですが。当時は辛子味噌や辛子酢などで食べたと言われています。

初鰹銭と辛子で 二度涙

四月上旬(旧暦)に 小判を味噌で喰い

すり鉢を賑やかに 摺る初鰹

すり鉢をおさえる者が 五六人

その面でからしを かけと亭主言い

 

最後の句は、高額な初鰹を買った亭主に怒った妻へ向っての言葉です。怒って辛子をかくと、辛子がよく利くという迷信です。私も子供の頃母親から教えられました。今の若い人には分からないかな?