先ずは「鮗」今ではコノシロと読ませていますが、昔から大正時代では、魚編に祭と書いてサンマと読ませていた様です。十月下旬、房州で秋刀魚が漁れ始めると大漁が続き「お祭り騒ぎのような忙しさ」が、浜でも、日本橋でも何日も続きました。この時の様子が「秋刀魚騒がせ」「鮗騒がせ」の造語になりました。

私達が「秋刀魚」の字を見ただけで脂ののった太い秋刀魚を思い浮かべるように、当時の庶民は「鮗」を見て秋刀魚を彷彿することが出来たのでしょう。ところが、この「鮗」も長続きしませんでした。大正末期から、秋刀魚の漁場が岸から沖へ、房州から北へと移動しはじめて、この感じが薄くなってきました。海流の変化も、漁船の改良・進歩も。しかし1番は漁獲の時期の相違による、うまい秋刀魚を市民に提供できなかったのが原因ではなかったのでしょうか。

固定ページ: 1 2 3 4