Category: 魚の話をしましょう (page 3 of 4)

春漁 その2

春漁 その2

 

毎度!宮内一郎です。

 

前回の宣言通り、桜の開花が予想されるこの時期、桜の名がピッタリの桜海老の紹介です。

 

3月23日、由比、蒲原で、桜海老の春漁が解禁されます。

   

4月1日に予定されていた解禁日が、漁師さん始め大勢の人たちの要望で、この日に早まったようです。

 

桜海老は、浮遊性のエビで、体長4㎝ほどしかなりません。体は側扁(左右に押しつぶされたような形)しています。東京湾、相模湾、駿河湾及び、台湾東方沖に分布しています。 

昼間は水深200~300mの海中に群れをなしています。夜になると表層近くにエサを求めてくるところを、網で捕獲し、干してエビの加工品とします。

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春漁 その1

春漁 その

 

毎度!宮内一郎です!

 

春三月ともなると、日本各地の漁港で、シラスの春漁が解禁されます。

春漁は、春漁のしらすを獲る人、売る人、食べる人、みんなが待ちに待った、やっとの思いを感じる言葉ですね。対して秋漁という言葉からは、さほどの感慨は得られません。そんな春漁という言葉が、広辞苑にも、私の手元にある国語辞典にも、俳句歳時記の季語にもありません。

私の独り善がりかもしれませんね・・・・・

さて、シラスとは、体が透明で細長い、カタクチイワシ、マイワシ、ウルメイワシなどのイワシ類の稚魚の総称です。イワシ類だけでなく、ウナギ類などの仔、稚魚もシラスと呼ばれます。

今回の話は、イワシ類の稚魚です。

 

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雛祭りと潮干狩

雛祭りと潮干狩

 

毎度!宮内一郎です。

 

雛祭りは三月三日です。潮干狩は?潮干狩も三月三日だったのです、昔は。

まあ、聞いてください。

 

三月三日の雛祭りは、もともと中国の古くからの風俗で、三月上巳に水辺で禊を行ったところから来ました。

現在のように三月三日の雛祭りが盛んになったのは近世以降で、徳川五代将軍綱吉の時代(1680~1709)といいます。

上巳とは、*五節句の一つで古代陰暦三月上旬の巳の日に行はれたところからの名です。

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白い粉(2017年2月)

白い粉

 

毎度!宮内一郎です。

白い粉・・・と、キワドイ表題をつけてしまいました。

今回はタウリンについての有名な話をさせて頂きます。

 

昭和20年8月といいますから、終戦の年です。古い話で、すいません。

鹿児島県鹿屋(かのや)の海軍特別攻撃隊が最後の攻撃を計画していたところ、隊員の視力が低下していることがわかり、イイダコの煮汁をお茶代わりに飲ませて、視力を回復させました。1週間ほどでもとに戻ったということです。

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節分と魚河岸

節分と魚河岸

 

毎度!宮内一郎です。

 

私は俳句を少し嗜んでいます。1月22日(日曜日)の朝テレビで、節分と追儺(ついな)の放送がありました。このテレビをみて、鰯の丸干しの話をと思って、筆をとります。

 

節分とは、「季節を分ける日」という意味で、立春、立夏、立春、立冬の前日のことを指していて、1年に4回の節分がありました。

追儺は平安時代に中国から伝わったもので、新年を迎えるにあたって悪霊や鬼を払う儀式です。

立春は、旧暦の元日に近いこともあり、追儺の儀式と、節分に行われた「豆打ち」の儀式が融合して、現代に近いスタイルの節分が完成されたようです。

江戸時代になると節分の豆撒きは、年末年始の恒例行事として定着して各家の戸口に、柊の枝に鯛の頭を刺したものを立てて、鬼打ち豆と称して、炒った大豆をまく習慣ができました。

これは隋の時代に我が国に入ってきた風習で、北東の方からやってくる鼻のきく鬼を避けるためのおまじないで、鯛の頭の臭いに音を上げて鬼は退散するという仕掛けです。

この北東の方角を鬼門といいます。また、鯛の頭も信心からの格言はこれが始まりといわれています。

 

以前は、節分が近くなると、鰯の丸干しの値が上がり、私たち鮮魚を扱っていた近海物の鰯は、売れ口が良くなかった覚えがあります。

近頃はスーパーマーケットなどで、柊の葉と丸干しが、セットで売られているようで、時代の流れを感じる昨今です。

 

福は~内、鬼は~外!

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